「観花」宜舟 gishu 江口ヨシタカ

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2018年 02月 05日

唱える花「予感」西行の言葉を夜な夜な拾い集める

 短歌を読み理解することは難しい。
 しかし、口語訳された言葉からは、古の詩人が月に、花に、寄せた感動を体現することはできないだろう。

 口語的な解釈は、詩人が感動によって、言葉によって、与えた歌の音調や姿を消してしまう。それは、古画に加筆をする事と同じではないだろうか。

 そこで現代的な口語解釈から離れ、論理的な言語理解から離れ、ただ短歌を音読する。繰返し繰返し唱えることで言葉は調べとなり姿となる。そんな反復の中から抽出され、純化された言葉を拾い集め、言葉としての花を心に書き写し、写し生ける花。それは言葉を理解するのではなく、言葉を心中深くに感じとる「唱える花」である。

 江口ヨシタカ
  eguchi.gisyu@gmail.com

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# by eguchi_gisyu | 2018-02-05 00:37 | 散文と花 | Trackback
2017年 11月 25日

言葉と花/詩人的境涯に関心を懐く

 言葉と花「書写・写生」の会
  ~ 眼に見えない花の姿を言葉で現す

 書写とは言葉としての花を心に書き写すこと。
 写生とは事柄としての花の生を写し生けること。
 そして、もう一度言葉としての花に還り、花を心に抱きしめる、そんな言葉と花の物語。

  書写/「慈眼」花への慈しみを心に書き写す
  写生/時節の花の生を写し生ける

 言葉と花「書写・写生」の会は2018年新春より。
 また「感会」も2018年新春より再始動!!

 江口ヨシタカ
  eguchi.gisyu@gmail.com

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# by eguchi_gisyu | 2017-11-25 15:51 | 散文と花 | Trackback
2016年 12月 28日

言葉と経験

 もう何ヶ月も花鋏を握っていない。
 実は花をはじめた頃から花を切るという行為には懐疑的であった。

 先人達は宗教的な尊敬をもって花を見、花を切り、花を生けてきた。
 僕もこの思想のもと、花を見、花を切り、花を生けてきた。
 しかし、それは観念的な言葉の理解であって経験ではない。
 だましだまし花を生けてきたといってよい。

 師の言葉が僕の経験となり、再び花鋏を握る時はいつだろう。
 それまでは陶淵明のように破れた籬の前に座して花と語ろうと思う。
 経験が言葉を定義できるまで。

 古人が云う「草木みな物言う」と。


 ブログは暫くお休みしますね!
 花は羊歯と春蘭。

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# by eguchi_gisyu | 2016-12-28 21:58 | 随想 | Trackback
2016年 04月 25日

感会記/あるかなきか

 牡丹の美しさという「もの」は、あるかなきか。

 貫之の辞世となった句より。
 「手にむすぶ
  水にやどれる
  月かげの
  あるかなきかの
  世にこそありけれ」宜舟書

  器/ボヘミアングラス、香合盆
  花/たくさんの牡丹


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# by eguchi_gisyu | 2016-04-25 01:04 | 会記_2013-2016 | Trackback
2016年 04月 21日

称名・西へ

 空を見上げ咲くハナミズキを生け、
 阿弥陀仏に帰依する。

  供物/灯明、香、ハナミズキ

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# by eguchi_gisyu | 2016-04-21 00:57 | 会記_2013-2016 | Trackback