「観花」宜舟 gishu

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2016年 01月 11日

対談「いのち」をたべる「いのち」をいける

 新春は対談・トークライブ。
 対談の相手は管理栄養士の市野真理子さん。

 市野さんは食べることを通し命のあり方を考え・伝える人だ。
 その活動はTV番組「ガイアの夜明け」にも紹介された。

 私は「いのち」を「たべる」ことで生かされ、「いのち=花」を「いける」ことで生きている。
 どんなトークライブになるか、今から楽しみである。

 花/芙蓉 枝末に残る「いのち」ありありと
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# by eguchi_gisyu | 2016-01-11 01:55 | 会記「よい時によい友と」 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 15日

web花講座「古語拾遺」vol.18~20/HPから引越し

vol.18 夜咄(よばなし)の花
 夜に生ける花は、白色か黄色がよいと宗恩(利休の奥さん)が云っている。
 火の灯りの中、白色や黄色であれば、本来の色を失うことがないからだ。
 しかし、現代は電気の明かり。そこで、あえて夜に紅い藪椿をいけてみる。
 一日の終わり、紅く力強い色は明日への活力となる。

vol.19 際
 池坊専応は云う「口の細い器は、その際にて花を開かせた方がよい」と。
 口が細い器に花を入れると、何だか間延びした形になってしまう場合がある。
 そこで、器の口近くに開いた花を生ける。
 これは、葉を水際(器の口近く)に見せる椿の生け方(vol.12 椿)にも通ずると思う。

vol.20 心の花
 利休は茶の神髄を示す言葉として藤原家隆の次の歌を選んだ。
 「花をのみ 待つらん人に 山里の
  雪間の草の 春を見せばや」

 外に花を求め、目に見える色ばかりを楽しむのではなく、心の内にある花を忘れないこと、これ大事な心也!

 もうずく、満開の桜があなたを待っています。
 その桜、誰に見せたいですか。また、誰を思い出しますか。

 利休が生けた梅
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# by eguchi_gisyu | 2015-12-15 00:37 | web花講座「古語拾遺」 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 14日

web花講座「古語拾遺」vol.17 花生の所作を考える/HPから引越し

 世阿弥は云う。
 「せぬ所と申すは、そのひまなり。このせぬひまは何とて面白きぞと見る所…」

 所作から所作に移る「せぬひま」が見どころだと云う。
 「せぬひま」とは動作が静止するところ。
 この静止状態とは外側からは止まって見えるが心は十二分に動いている状態を言う。

 これを花を生ける所作に置き換え考えてみると、「花を器にとめる」これが「せぬひま」である。

 花をとめる所は外側からは見えない。
 つまり、花をどうとめるか。
 これが花を生ける心の所作であり、とめ方で器の上の花姿も変わる。 

 そして、花をどうとめるか。
 それは観世寿夫さんの言葉をかりる。
 「演者の姿は舞台に根が生えたような存在感を伴わねばならぬ…
 舞台で立っているということは、能の場合、前後左右から無限に引っ張られている、その均衡の中に立つということなのだ。逆にいえば、前後左右に無限に力を発して立つ。無限に空間を見、しかも掌握する…」。

 「花をいける」。それは、あたかも自生したかのように花を器にとめること。
 これが大事ではないかと思う。

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# by eguchi_gisyu | 2015-12-14 00:28 | web花講座「古語拾遺」 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 13日

web花講座「古語拾遺」vol.16 生ける花の形/HPから引越し

 私が大切にしている金春禅竹の言葉。

 「確かにと思って形を作れば命短し」

 花を生ける。それは形を整え外形を確かにするのではなく、定めなきかに見える形(姿)を生け写し、これを心のうちに完成すること、これ大事也。

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# by eguchi_gisyu | 2015-12-13 13:33 | web花講座「古語拾遺」 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 12日

web花講座「古語拾遺」vol.11~15/HPから引越し

vol.11 時節の花/初花の椿
 花には「初花」「当季」「名残り」の三つの時節がある。
 「初花」は初々しさ、「当季」は盛り、「名残り」は偲びを現す。
 時節の花を愛で、移りゆく時に目をとめる。
 そうしたものに寄せる思いを「閑吟集」では次のように謡っている。
 「花の上なる露の世に、ただ人は情けあれ」と。

vol.12 椿
 「抛入花伝書」によると「椿は木なれども、葉を水際に見せ、花をその内にあしらわねば有りつかず」とある。
 伸び上がるようには、成長しない椿。
 立ちのぼるようには生けず、その内にある精気を生け写す、これ大事。
 そして、椿は葉を水際に見せ、その中に花があるようにいけること。

vol.13 水仙
 前回に続き再び「抛入花伝書」より。
 「水仙は草なれども立ちのびたるゆへ、葉をこころよく立てのばし、ながしかけ、花ものびやかにおかねば有りつかず」。
 木は高く草は低く、それが木と草の性質に伴う生け方。
 しかし、今はその心を離れ、葉をこころよく立てのばし、花ものびやかにいける、これ立ちのびたる出生を持つ水仙の生け方。

vol.14 花の見方
 利休が木村常陸に伝えた言葉「花は身を遠のけて、足音のせざるやうに御覧あるべく候」。
 静かな心と静かな足の運びと共に、あまり近寄らずに花を見ること。
 右から左から回り込むように見るのではなく、正面から姿勢正しく見る、これ大事。
 正しい所作と姿勢でなければ、モノの正しさは見えないと思う。

vol.15 葉だれ
 「清巌茶話」の一節、「葉だれは、草木の葉の少しかたぶく程ふりたる雪なり」。
 草木の葉が少し傾く程に降る淡雪を思い、葉を扱い花をいける。
 このわずかに傾く「イノチ」の姿は、懐かしさを誘う。

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# by eguchi_gisyu | 2015-12-12 00:29 | web花講座「古語拾遺」 | Trackback | Comments(0)