「観花」宜舟 Gishu 江口宜隆 Eguchi Yoshitaka

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2017年 06月 12日

「たてる」太初の行為

 「たてる」という行為の起源を古事記に訪ねると三柱の神に出会う。
 神は柱を「たてる」ことで現れるのだ。

 そんな垂直に萌え騰がる古代人の詩情は、大地に立つ人為と天に祈る信心の表れであろう。
 そう、生い出る生命はみな天をさしているのだ。

 そして今、天をさす信心を自然の中にさがすと神体山や神木に出会う。

 天をさすように「たてる」こと。
 自然へと切り込んでいくこと。
 そう問い続けること。


 「花継」hanaTsugu/立花に学ぶ
 信心と共に若枝を「たてる」インスタレーション。
 人の意志のとどかない遠方からやって来るものを待つ。
  場/手仕事の場
  器/18世紀花瓶
  花/朴の木

 江口宜隆 Eguchi Yoshitaka
 eguchi.gisyu@gmail.com

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# by eguchi_gisyu | 2017-06-12 00:48 | 「たてる」太初の行為 | Trackback
2016年 12月 28日

言葉と経験

 もう何ヶ月も花鋏を握っていない。
 実は花をはじめた頃から花を切るという行為には懐疑的であった。

 先人達は宗教的な尊敬をもって花を見、花を切り、花を生けてきた。
 僕もこの思想のもと、花を見、花を切り、花を生けてきた。
 しかし、それは観念的な言葉の理解であって経験ではない。
 騙し騙し花を生けてきたといってよい。

 師の言葉が僕の経験となり、再び花鋏を握る時はいつだろう。
 それまでは陶淵明のように破れた籬の前に座して花と語ろうと思う。
 経験が言葉を定義できるまで。

 古人が云う「草木みな物言う」と。


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# by eguchi_gisyu | 2016-12-28 21:58 | 随想 | Trackback
2016年 04月 25日

感会記/あるかなきか

 牡丹の美しさという「もの」は、あるかなきか。

 貫之の辞世となった句より。
 「手にむすぶ
  水にやどれる
  月かげの
  あるかなきかの
  世にこそありけれ」宜舟書

  器/ボヘミアングラス、香合盆
  花/たくさんの牡丹

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# by eguchi_gisyu | 2016-04-25 01:04 | 2013-2016_会記 | Trackback
2016年 04月 21日

称名・西南へ

 空を見上げ咲くハナミズキを生け、
 阿弥陀仏に帰依する。

  供物/灯明、香、ハナミズキ

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# by eguchi_gisyu | 2016-04-21 00:57 | 2013-2016_会記 | Trackback
2016年 04月 14日

薬師/東方より

 瑠璃の杯、一献傾ける。

  花入/バカラ切子
  花/白く清らかな「一輪草」


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# by eguchi_gisyu | 2016-04-14 00:40 | 2013-2016_会記 | Trackback