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2015年 09月 28日

観月

 今夜(9月27日)は中秋明月。

 明恵上人は、月そのものを三十一文字で連ねた。
 「あかあかや あかあかあかや あかあかや
  あかあかあかや あかあかや月」

 ただ素直に言葉を重ねている。
 この「ただ」の心になること。

 僕も、ただ、ためらいなく、さっと、
 そして、思いを重ねるように花をいけたい。

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by eguchi_gisyu | 2015-09-28 02:11 | 随想
2015年 09月 27日

感会記/一風

 心動けば、葉落ちる。

 大燈国師の語録より
  掛物/「一葉落天下秋」宜秋書
  器と花(花なき花)/18世紀木皿に露を打つ
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by eguchi_gisyu | 2015-09-27 00:33 | 会記「よい時によい友と」
2015年 09月 24日

web花講座「古語拾遺」vol.63 石菖鉢

 細く青い草を鉢に入れたものを石菖鉢といい、
 これを双花瓶と共に飾った。

 利休は、暁には行燈。夜には短檠を用い、
 石菖鉢を飾り、その影を見たという。

 また、能阿弥の伝書にも「ウシロヲ見ル花」というものがあり、
 逆光線によって遠近がひとつになる姿を見たという。

 こういった演出こそが花を「生ける」ということであり、
 能阿弥や利休は、色や形を超えた花の姿に、どんな思いを寄せていたのでしょう。

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by eguchi_gisyu | 2015-09-24 14:27 | web花講座「古語拾遺」
2015年 09月 12日

web花講座「古語拾遺」vol.62 花の法度

 花の法度はいろいろある。
 一花一葉、四花四葉、たけくらへ(長競)、
 四方くれない(紅)、わかれの枝、さし枝など…

 しかし、利休の考える茶の湯の花は、
 花の法度とは別の境にあったようだ。
 上記のような法度を踏まえた上で
 「数寄の道にはこれなし」といっている。

 川瀬敏郎先生はいう。
 なげいれは「定理あって定形なき」花。
 なるほど!いい言葉だ。

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by eguchi_gisyu | 2015-09-12 17:53 | web花講座「古語拾遺」
2015年 09月 11日

web花講座「古語拾遺」vol.61 朝顔や萩を「いける」とき

 朝顔や萩は、前日の宵に切り、水につけておく。
 そして「ソレヲイケルナリ」という。

 水につけておくと、性が改まり、
 直ぐなる姿にもどるからだ。

 花の道では、枝を曲げることを「ためる」といい、「ためる」を表す文字に「直」を用いることがある。

 専好は云う。生まれの(直ぐなる)ときを見つめ、これを現すと。
 大切な言葉である。

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by eguchi_gisyu | 2015-09-11 11:28 | web花講座「古語拾遺」
2015年 09月 09日

時々花講座/写生

 稽古で使った花。
  突抜忍冬、金水引、雁草(かりがねそう)、
  旗竿桔梗、萩、杜鵑、桔梗、竜胆、女郎花、
  藤袴、吾亦紅、男郎花、野菊

 これらの草花を大と小の差異のあるままに、
 さっと打入れてみましょう!

 けっして整った姿ではありませんが、
 その姿はあるがままに色めくことでしょう。
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by eguchi_gisyu | 2015-09-09 17:06 | 会記「よい時によい友と」
2015年 09月 05日

web花講座「古語拾遺」vol.60【日本の花の思想史】侘びの花/千宗旦

 利休の孫である宗旦は、侘び茶の湯の正統を
 継ぐものとして「侘宗旦」と呼ばれた。

 宗旦は利休の作である「園城寺」に花をいけ、
 竹の割目からこぼれ落ちる雫を「いのち」であるといった。

 花を切る死、花をいける生。
 死を知って生を知ること。

 そして、生と死の相対の中、
 一点に咲く花、一点において緊張する花。
 これが「侘びの花」ではないか。

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by eguchi_gisyu | 2015-09-05 00:27 | web花講座「古語拾遺」