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2013年 07月 19日

web花講座「古語拾遺」vol.25 「たてる」花と「いける」花

 中世室町、仏前の供花から「たてる」花が生まれる。
 「たてる」花は、花本来の美しさを其のままにさす「たてはな」から始まり、その後は座敷空間を形式的に飾る「立花」へと変わっていく。

 そんな中、珠光は能阿弥と共に新しい思想を生み出す。
 「結いしめたる所なく、自然友に打なびきたる態に」

 「結いしめたる」は形式的な「立花」。
 「自然友に打なびきたる」はものの性を尊重する「いける」花であり、「たてはな」への回帰でもあろうか。

 そして江戸の世、「立花」はさらに形式化が進み「立華」へとなっていく。
 これは、儒学(朱子学)を御用学とし体系的に国を治めようとする「結いしめたる」江戸幕府を象徴している。
 キリシタンの弾圧や鎖国もその例であろう。

 一方「いける」花は、中世の禅をもとに個人の自由に生きた「自然友に打なびきたる」花であった。
 しかし、江戸中期以降、「いける」花は流派の「いけばな(生け花)」と結びつき同義語化してしまう。
 そして、体系的に流派を治めるため、形式化が進み「いける」花も「結いしめたる」花になっていく。

 中世室町、己の「数奇」に生きた時代。
 洒脱でさらっとした時代。
 そんな時代の心である「結いしめたる所」なく、「自然友に打なびきたる」花を今の世に、と思う。
 そして、そんな花を生け、受継ぎ伝えていきたい!

 しかし「数奇」に生きることは軽いようで重く、怖い。
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by eguchi_gisyu | 2013-07-19 13:37 | web花講座「古語拾遺」
2013年 07月 01日

web花講座「古語拾遺」vol.24 器の好み/籠

 今の世の籠の花は、花を少し入れるよりも多く入れる傾向にある。
 茶の創成のころ「籠などには花少し入れ好」と花は少なめであったらしい。
 好みは常に変化し必ずしも一定しないものだ。

 そんな中、籠の花入に寄せる思いには、深く一貫したものがあった。
 それは、籠の組目を通して見る水面である。

 籠の組目を草間に、水面を沢の水に見立てる、
 なんとも心に通う趣である。
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by eguchi_gisyu | 2013-07-01 10:08 | web花講座「古語拾遺」