「観花」宜舟 Gishu 江口宜隆 Eguchi Yoshitaka

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2013年 10月 10日

道元禅師

 道元を初めて知ったのは中学の歴史の時間だったろうか。
 多分そうだろう。

 中学から高校へ進学。
 進学した高校の建学の理念は曹洞宗に基づくものであった。
 そう、日本における曹洞宗の開祖は道元禅師である。

 当時の私は、あり余るエネルギーを持て余し社会や大人に反発していた。
 そしてよく校則を破り、そのペナルティーとして「写経10枚!書いてこい!」とよく言われたのを憶えている。

 それから、就職し一応社会人となった20代。
 本屋でふと「正法眼蔵・道元著」に目がとまり購入。
 早速読んでみたが、私にとってはまるで外国語ようで読むこともできない。

 それからも、なぜか道元への興味は捨てきれず、和辻哲郎や唐木順三の本を読んでみるが、これもまた難しい。
 でも読むこともできない「正法眼蔵」に比べれば、辞書を片手にのらりくらりと解らないなりに今も読み続けている。

 そんな中、ひとつの歌に目がとまった。道元の歌だ。
  「冬草も 見えぬ雪野の 白鷺は おのが姿に 身をかくしけり」

 この歌に関し唐木順三は次のように述べている。
 「これには礼拝という題がついている。白い雪野の中の白い鷺、その白鷺が、その白さの中に身を沈めかくしているというのであろう。(中略)白一色の雪の野に、おのが身をかくしつくす白鷺のように、仏法の白漫々地のなかで純白無垢になれというのであろう」

 そう、花をいけるとき、白漫々でありたい。

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by eguchi_gisyu | 2013-10-10 10:57 | 随想


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